2024年12月
巻き取られ、ハックされる上演― クアトロガトス「水俣にて」
井澤賢隆(哲学)
・日時:2024年12月8日(日)17:05~
・場所:プロト・シアター(高田馬場)
「go to 斉木燿・考」企画の最後の演目として行われたクアトロ ガトスの上演「水俣にて」。その前の「一人演劇」が終わった後、20分ほどの休憩があり、この間に舞台を準備する。そこから観られるのがこの企画の面白さの一つである。と言っても、向かって左側からプロジェクター、イスの上にこちらに背を向けたパソコン1台、舞台右にスピーカー1台とその前にマイクが1本、イス1脚、それだけである。電気器具はすべてパソコンに接続されている。そして、プロジェクターから舞台背面の白壁に光が投射される。試行だろうが、私にはまずこの瞬間がスリリングだった。白の空虚、このタブララサ(白紙)に何が映され、何が書き込まれていくのか。いや、何も書き込まれないかもしれない。そんな予感もした。
その白光が消され、スピーカーの前にあるマイクの距離を調整して、ハウリング音を出す。ここから上演が始まったと言ってよい。かなり大きなハウリング音。少し小さめにしたものの、その「耳に障る」音は持続し、一貫して最後まで鳴り続ける。それはそのまま国家と資本主義にとって排除すべき、耳障りで目障りな水俣病患者そのものとの接触音というようにも聞こえる。だが、私にはむしろそんな意味付与やこの上演そのものを、最初から最後までハウリングでハッキングしているかのように思えた。
一方、プロジェクターからはテクストの文字が映し出されていく。それは、胎児性水俣病患者たち自身の述べた話し言葉をはさみながら、清水唯史・クアトロ ガトスの、「水俣」への本質的な思惟の垂鉛が先鋭な形で切り込まれていく言説だった。国家・資本主義と胎児性水俣病患者たち、その一方的な縦の権力。つまり、「忘却の忘却としての忘却」という国家・資本主義の本音。これらの言説は流れるように上にスクロールされていく。「忘却の忘却としての忘却」に対抗する清水唯史・クアトロ ガトスの「批判の批判としての批判」、それも一つの「権力」であることに変わりはない。ここに映される「言説」自体が権力の集蔵体(アルシーブ)なのである。そこまで徹底して垂鉛を降ろすことが清水唯史・クアトロ ガトスと「水俣」との関わりの本質であることをはっきりと認識させられる。
しかし、実はこの権力としての言説(テクスト)自体も、スクロールされることによって巻き取られていく。スクロールは単にテクストの続きを読ませるためになされるのではない。これらの言説を刻みつけた尖筆の先という権力をまるめるためになされているのだ。これはすでにクアト ロガトスの『t,a-blanc』(1993年11月・名古屋 七ツ寺共同スタジオ)において遂行されていたものである。そこでは床に敷かれていたリノリウム板に書かれたテクストが巻き取られ、また巻き解かれていくパフォーマンスが行われていた。各演者が身体正面に装着していた明るい照明スポットは、今回のプロジェクターに対応してもいる。
この刺激的な上演を、清水唯史は「黙読演劇」と名付けていた。だが、遅読の私はスクロールのスピードに一部ついていけなかった。また、特に内容を読まなくてもよいとも思っていた。スクロールによって巻き取られたテクストは、書かれた「理念(イデア)」である。それはそのままプラトンの「洞窟の比喩」を類推させる、照射された「偶像(イドラ)」でもある。テクストの巻き取りは、それらすべてを受容・包摂しながらさらに受容可能なものとして開かれている、そんなところまで清水唯史は考えていたのではないかと思われる。
もちろん、今回の上演にも「俳優」という男根的存在は登場しない。椅子が一脚置かれていたにもかかわらず、不在だの非在だの、そんなことすらほとんど考えることはなかった。そういう次元がもはや脱落(とつらく)した事態が現出していた。
観客がもはや自身の声を飲み込まざるを得ないこの「黙読演劇」、ここにおいて一層明らかになるのは、「演劇」そのものの奥に潜む、深く虚無的な白日の「沈黙」である。
(了)(2024.12.24)