07年9月


「人体商品・資材」上演レポート


中西B(CUATRO GATOS準構成員、『批評誌クアトロガトス』責任編集)



 あまりにも時間の猶予(前々日)がなく限られた範囲でしかお知らせしか出来ませんでしたが、9月19日に劇団CUATRO GATOSの上演が行われました。概要は次のものです。
 
第7回「知のワークショップ」・知と身体の演出法
主催:早稲田速記医療福祉専門学校 病院管理科・医療経営情報科・診療情報管理専攻科
2007年9月19日(水)・14:00〜16:45・早稲田速記医療福祉専門学校7F研修室
内容:
1)発表「オイディプスの謎‐ ギリシャ悲劇の本質について」
  井澤賢隆(早稲田速記医療福祉専門学校 病院管理科専任教員) 
  14:00〜15:00
2)講演演劇「人体商品・資材」
  清水唯史+CUATRO GATOS(田中紀子、 竹原洋平)
  15:15〜16:15
3)質疑応答
  16:15〜16:45
 
 早稲田速記では、教員をなさっている井澤さんのご好意によって何度か上演(パフォーマンス)が行われています。特に前回、3年前の2004年9月15日のパフォーマンスは極めて特異な事件とでも呼べるものになりました、私としてはこれまで見た上演の中でもっとも衝撃的なものの一つでした。今回は形式はほとんど同じながら、対照的なアプローチの上演でした。ここでは私の日記をほぼそのまま基にして、前回と今回の上演を比較して紹介する形で上演のレポートを行います。
 
do_decolink('diary_body')   あの上演から3年がたったのかーと少し感慨深いです。今思い出すと、あのころ結構元気でったように思います。今回も「事件」ではなくてもどうにもひっかかる上演でした。

 今回は観客として見に来たのは、ナベサクさんと水俣の上演でお世話になった細谷さんだけでした。とりあえず手短に、今回と前回の上演の感想を書きます。そこに3年という時間がもっともよく見えましたので。

 両方の上演において授業という形態は同じです、観客として来ているのはほとんどが本物の専門学校生(?)で授業として受けています。上演で行われる講演は、医療福祉のほうに現在はほとんどシフトしている学校の現状を踏まえてつけられた、ほぼ題名「人体商品・資材」にそったもので、ややわかりやすくなっているものの通常の講演などと基本的に内容は変りません。

 まず3年前の上演について書きます。この上演には、クアトロ編集委員の森下さんをはじめもう少し多くの生徒でない観客もいました、はじめはともかく若い人の熱気に圧倒されました、それは実のところ単に生徒の私語が多いということでもあります。今年に比べて倍近い、100人以上が同じ教室に詰まってるのもその印象を強くしました。講演の内容は、もちろん題名の通りですが、同時に実のところ語りかけられている聴衆(含む私)自身についても語っているわけです。当然それに気づいている学生も多いのです。
 
 舞台装置としては、教壇からは観客に向けて何台かのビデオカメラが向けられ、清水さんは教壇の真ん中に陣取って、Macのパソコンを目の前において講演を行います。同時に、教室のあちこちにスピーカーと、マイクが置かれて講演の内容を流し録音を行っていました。さらに教室のあちこちにスピーカーとマイクが設置され、講演の内容をそこからも流し、教室の音の録音を行っていました。クアトロガトスの上演では頻繁に行われるTシャツを固めたオブジェの搬入して搬出するも、田中さんと竹原さんの二人のパフォーマーにより行われました(http://www.cuatro-gatos.com/theater/critique/200409nakanishib.html )。このときはオブジェはどんどん教室内に積みいれられ、いすの間を通って教室の後ろに至るまでおかれていきました。同時に、パフォーマーは随時教室内の教室内の写真をポラロイドで撮影してて、その写真をオブジェに貼り付けていました。

 このパフォーマンスは途中から異様な雰囲気に変わりました、見たところ良かれ悪しかれ「リラックス」していた聴衆はどんどん変わっていきます。私語も聞かれていることによって変調していき、パフォーマーに写されることは彼らの緊張を増していきました。この状況は、、我々の社会が現在おちいっているが、顕在化することの出来ない、〈戦争状態〉がパフォーマンスの仕掛けと権力関係によって顕在化可能になり。さらにそれがが各人のプライベートへと侵入にすることによって「普通の主体」が崩れて、不安定で緊張に満ちてざわめく人々があふれる状況になりました。これは構成的権力が発現したとまとめれば明快でしょうか。 注1(次の上演についても含めて、このレポートを書く直前に読んだ、http://d.hatena.ne.jp/ashibumi68/20071002 を参照してください)

 上演は、前の入り口から搬入されたオブジェが、後ろから搬出され教室の外の廊下に積み上げられて終わりました。外に出ると写真を貼られたオブジェがおかれた廊下の壁には求人票がはってありました。最大のネックとしてあくまで一回的なパフォーマンスとはいえ、やはり極めて特異な上演(事件)だったといえるでしょう。

 さて、今年の上演についてです、まず入った瞬間あれっと思ったのですが、教室内はずいぶん静かで落ち着いていました。人数が前回の半分くらいだったせいもあります。私の座った席の二つ前によく喋る二人組がいましたが、おおむねまじめに聞いていました。

 舞台の前回と変ったところは、清水さんが舞台上手に引っ込み、そこで(またMacのパソコンを置いてですが)講演を行います。公演の内容は少し変わっていましたが、現在の社会における監視への欲求が論題として入っていたことでは同じだと覚えています。教壇のほうからはやはりいくつかのカメラが聴衆を写しており、教壇にもスクリーンがあり、清水さんが原稿を読むところを撮影し映しています。

 前回と同じくオブジェの搬入は行われるのですが、今回は前回と違って、オブジェは教壇と聴衆の間に置かれます。さらに二種類のスタンドを使って、人の身長ぐらいの高さにまでいたる、オブジェの壁が作られていきます。講演は途中でやや手間取りながらパフォーマー(メンバーは前回と同じで最初に読んだのは田中さんです)に引き継がれ続きを行います(さらにこのときはマイクを使います)、しばらくして清水さんが「コーラ」wを飲んで、また戻り講演を引き継ぎます。さらに次には別のパフォーマーが読んだり、その後には録音された文章を流したりします。

 今回はパフォーマンスは会場に進入せず、作られたオブジェの壁はやがて解体されていき、スタンドと共に前の出口から搬出されていきます。映像はライトを当てて消されて講演と上演は終了します。搬出されたオブジェはポイポイ捨てるように置いていましたが、実はその途中で清掃にきた職員が邪魔なので一つの山ににまとめて置きなおしたそうです。そこはエスカレーターの前だったので帰りにみんなが眺めていました。
 
 パフォーマンスは時間が少しあまったのでので質疑応答のはずでしたが、やはり質問はしづらいらしく、井澤さんが「これはコロスの舞台だね」と思いっきりネタばれ解説をしていました(その前に上演者と観客が同一であるギリシャ悲劇の本来の上演についての授業がありました)。実際、前回の上演との大きな違いは壁をわざわざ作って見せることで近代劇場(だけでなく近代的学校、メディア)の構造を再現して見せたことです。しかし、その壁が基本的には人々が暗黙に想定しているものを形にしたデコイとして作られた「表象」に過ぎないことも上演の構造から示されます(壁を作ったオブジェは前回と同じですこれらは学生と講演者であり、「我々」であるわけです)。演劇というより、「演劇の偽物」というべきでしょう。さらに上演するものと見るものが実は同質(交換可能)であり、にもかかわらず不均等な権力関係があることを構造として示すことは同時に演劇批判だといえるでしょう。ところが、ここにおいては語られた内容も同時に存在するわけです。今回の上演の観客(学生)が前回に比べて女性の比率がはるかに高く、9割がただったことと、労働の売春性や代理出産といった問題が扱われたことは偶然だったようです。とはいえ、二つの意味でねじれたメッセージの導入は上演に何かを残してしまったはずです。それは前回に激しく現れたような、「構成的権力」につながるものである、理論的にはそういえるはずですが、本当はわかりません。このわからない部分の問題と、授業という形式と制度に頼ったことにより、今回もまたやはり「パフォーマンス」でしかなかったことは確かでしょう。このような手段に頼らない反復可能な作品(上演)としていかにこの「介入」をつくりあげるかという「中原昌也」的課題が出て来ることになるでしょう。注2 (これはブレヒト対ベケットの問題ということでもあります、http://www.cuatro-gatos.com/critique/txt/200507-1nakanishib.html も参照してください)

 とはいえ、本当に印象的だったのは生徒たちの変化でした、もちろんそれは上演のアプローチの変化によるものでもあるし、人数という単純なことでもあります。しかし、一部の人々がデウスエクスマキナのように、そして排除的イデオロギーとして持ち出す景気の回復による改善があるはずなのに、私にはむしろますますの内向した切迫が感じ取れました。そしてそれが上演のトーンを決めていました。もちろん、それは私が年をとったに過ぎないということでもあります。3年もかけて何も立派なことも努力もしてきませんでしたから。しかし、生徒たちの年齢は実は変っていないわけです。それは私には気になることでした。

 求人票はもちろん前と同じく、貼ってありました。早稲田速記の学生の就職や就職後の実際の状況などは、上演の後の飲み会のときに井澤さんなどから聞きました。 ですが通り一遍以上はわからないのでここに書くことは控えます。



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