05年11月


劇評 [rest / labor ]


三浦一誉(中央大学法学部4年)



 舞台全体は黒い壁に覆われ、舞台上には木製の建造物が並んでいた。舞台裏から現れた役者たちが建造物の間を抜けてくる。観客席の真向かいに木製のスタンドを並べ様々なレシートが貼り付けられたTシャツのオブジェを被せてゆく。数人が舞台を離れ観客席の最前列に腰を下ろした。役者達は観客の中に入り込み、観客は席の内部に彼らを迎え入れ、両者の分断線が不明瞭化した。この瞬間に会場内のすべての人間は役者でもなければ観客でもない人々の群れへ、同じ時間の流れを共有する群れへと変化した。

 舞台の右端の壁面に『生きた貨幣』のテキストが映し出される。手前に英語、後方に日本語訳。両者は同時に視界内に収まり、日本語でもなければ英語でもないテキストを脳裏に浮かび上がらせてゆく。役者は建造物の間にラジカセを並べ、それぞれからテキストの日本語訳を読み上げる男と女の声が聞こえてくる。男の声と女の声がわずかにずらされ読み上げられる。不意に合唱が混入してくる。言い間違えることもある。語り損ねた言葉に語られたであろうテキストの断片が呼び起こされた。観客席に腰掛ける私の舞台に抱いたイメージは形作られると同時に崩されてゆく。ある方向に駆り立てられながらも、決して統一されたイメージに結びつかない。私はある時点に浮かび上がりある時点で形になるまでの間の時間に留められていた。アガンベンがギョ—ムの表現を借りて述べている操作時間(心があるイメージを実現するために用いる時間)の中にいた。[rest/labor]の題名どおり会場全体は、舞台上で繰り広げられる動作(仕事)のイメージを実現しながら実現しない操作時間の中に置かれていた。過去から未来に流れる時間から、過去と未来が不分明となり過去が未来に変換される操作時間の中に、過去と未来に挟まれた過去でも未来でもない残りの時の中に引き入れられていた。

 残りの時は様々な表現をとりながら繰り返された。絶え間なく聞こえてくるテキストの声は決してまとまらなかった。舞台の中央部分に並ぶ建造物の内部から、衝撃音が響き始め絶えず意識のまとまりを妨げ続けた。建造物の後ろに置かれたビデオカメラが内部の映像を流した。観客席に向かい剥き出しになった木造の壁に内部の映像が浮かび上がった。何かを書きなぐる男がいた。倒れこむ男がいた。何もしない男がいた。内部の映像であると同時に外部でもある映像。映像のイメージは捉えられた瞬間に拡散して逃れてゆく。

 反復は、規模を変えながら続いてゆき、舞台から人間の姿が消えていった。並べてあった布地と脚立は舞台の裏に持ち去られた。建造物に映る映像は右から順に停止して、舞台上を静けさと暗がりが包んだ。黒服の男が舞台の右端に立っていた。変わることなく舞台上の動きは停止している。私の脳裏には先ほどまでの反復が残され、繰り返されていた。何も起こらない空間内に先ほどまでの残りの時の反復が重なり合いながら浮かび上がった。今までの舞台上の動作が重なり凝縮されて出現していた。過去と未来の間に存在し、過去を未来に変換する残りの時が充満しているように思えた。

 そして「終わります。」の声が響き渡った。この演劇の中心は残りの時の反復であり、充満であったように思う。残りの時が過去を未来に変換する不分明地帯であるとするならば、終わりを表す言葉によって定義された時点で過去は未来につながれ未来のひとつの状態として定義されてしまったと考えるしかないだろう。未来の一地点である演劇の最後に終わりが定義されている以上、この演劇が始まった瞬間に考えられていたことは終わりをあらわすことになるはずの何らかのイメージであったことになるだろう。まとまる前の終わりのイメージとして演劇は始まり、役者と観客は役者でもなければ観客でもない人々の群れとして同じ時間を共有した。残りの時は形を変えて反復を繰り返し、舞台の最後において充満するに至った。アガンベンは愛を例に取り残りの時を語っている。美しい—黒髪の—優しい—マリアを愛するのであって、美しいからマリアを愛するといった瞬間に愛の外に出てしまうと語っている。定義する前に愛になるだろう感情が生まれ、様々な属性が充満している状態そのものが愛であり残りの時であると言っているのだと思う。言葉に出して定義した瞬間に愛は愛から離れ、愛を存在させている残りの時が始まる以前の時に引き戻されてしまう。その時間に愛は存在していない。終わりであると定義した瞬間に、会場内に充満していた終わりの充満から終わりが切り離され残りの時が始まる以前の時間に引き戻されてしまった。

 その言葉がいかなる意味でも演劇から切り離され、純粋な合図の記号として用いられたのならば上記の考察は意味を成さない。出来事が始まり、反復と充満のうちに舞台は維持され、未来に引き渡されていった。ただわずかでもこの言葉が演劇と結びついてしまうのならば、舞台の開始から終了の直前まで反復された残りの時は、未来に引き渡される瞬間において失われてしまったと考えるしかないだろう。



CUATRO GATOS

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