2004年8月
擬装からの撤退……アーティストをやめること……
大野左紀子(大学非常勤、廃業調査会)
20年余り現代アート作品を発表しアーティストと名乗ってきたのを、今年以降やめることにした。作品のネタが尽きてしまったから、あるいは継続できない物理的要因が生じたからではない。もうアートでやれることはない、アートはお終いだと思ったからだ。そんなことを今頃気づくなんて、遅いだろうと思う。アートは既に70年代に「死んだ」と言われていたのだから。
私は80年代前半に芸術大学を卒業し、そのまま当然のようにアーティスト活動を始めた。アートが消費文化へと変化していった80年代を通じて、モダニズムとしてのアートは確実に後退した。個人性や日常性の表出が楽観的に謳われる一方で、すべての物事は均質な情報にフラットに還元されているかのように語られた。
そうした拡散には違和感を感じながらも、教条的なモダニズムを真に受けることも不可能という立場で、 私は制作をしてきた。マス・ビジュアルが圧倒的な優位にある視覚文化において、アートに残された道は、マスが押しつけて来るイメージを再配置することでずれや偏差を生み出し、潜在する「自由の気配」を探ることだと私は思っていた。
しかしイメージの再配置にしろその他の手法にしろ、マス・ビジュアルに取り込まれ消費されていくのが、80年代以降の表現をめぐる基本的な状況でもあった。あらゆる視覚文化の例に漏れずアートも、様々なテクノロジーを取り入れることによって非マテリアルなものへの志向が顕著となっていったが、 その扱う内容は結局現実の反映であり、反復に過ぎないと思えた。サブカルチャーでも散々行われていることだった。
私も、様々なバリエーションを繰り返していた。そして周囲を見渡してもアート内外の状況を見ても、「自由の気配」はいつまでたっても気配でしかなかった。アートとは、自由を求めながらそれを永久に先送りする機構だったのだろうか。あるいは自由などそもそもどこにもなかったのか。
自由などなかったのだ、と思う。近代が生んだ自由と平等という価値は、現実には達成されていない。達成されていないからアートが求められ、そこで実現されることのない希望のイメージが、飽きもせず語られてきたのではないか。
しかし問題は、私は心から自由や平等を求めていたのかということだ。それが真に達成されたら、アーティストという特権的な立場は無化されるはずだ。つまり、無化されるような地点から慎重に距離を置いての実践を、アートと呼んでいるに過ぎなかったのではないか。その中でそれでもなおマス・イメージに抵抗し、潜在する「自由の気配」を探り続けるとは、いったいどういうことなのか。それは一種の「擬装」ではないのだろうか。 「擬装」を支えるのは、自己実現したいという欲求ではないだろうか。
アーティストという特権的かつ融通無碍なアイデンティティを約束し、実践の潜在性を示唆し続けるこのジャンルは、「ポストモダンの子供達」には実に魅力的な制度だ。 だが、真の自由や平等など(いら)ないとした上での制度内の自己実現は、最終的に権力を志向するしかない。
80年代に全面化した状況は、現在も本質的に同じだ。アートはすべての「実験的試み」を受け入れ、何も侵犯せず審判も下さない。いくら近代芸術から完全に脱却した新しいアートの姿が模索されようと、制度が改革されようと、それらはアートとアートを成立させている資本主義社会を維持延命させていくためにしか機能しない。そうした予測は、今日に至る「芸術の終焉」の失敗と忘却が示している。そこには個人的欲求を越えた思考や試練のスリルはない。なんと退屈な、そして転倒した話だろうか。
こうした中で、自由も平等もそれによるコミュニケーションも達成されていないこと、つまりアートの中の虚構空間はフラットになっても世界は決してフラットではないことを、01.9.11の同時多発テロは象徴的に示した。それはシミュラクルに満ちた(と盛んに言われた)世界に、まさにマテリアルそのものを突きつけるような出来事だった。そしてアートとは呼ばれず、アーティストとも名乗らないところで顕現せざるを得ない行為、侵犯し審判しようとする行為について、考えることを促した。
私がアートを通してしてきたことは、抵抗のための抵抗ですらなかったと思う。私は不自由と不平等に依存し、追認的に自己を肯定していただけだった。それがこの時代のアーティストの位相であり、存在様式だ。
アートから退くことで私はようやく自己の現実に直面したが、冒頭にも書いたようにそれにはあまりにも時間がかかった。しかし世の中に、「間に合った」ということはもうないのではないかとも思う。そこでの行為は、「すべてはもはや遅過ぎる」という事態を徹底的に言語化した上で敢行されるほかない。そうした行為の特権性は今、そこに自己の全存在を賭けた匿名の行為者達に与えられているのであり、アーティストのものではない。
形骸化したジャンルの表現行為から撤退した者にとりあえず残っているのは、非特権的な言葉だけだ。思考や試練が始まるとすれば、そこからだろうと思う。
(七ツ寺批評紙2002年7月号掲載)