新連載 Another Stories                                  桑原史成(写真と文)


第1回 石牟礼道子さん(読者を魅了した『苦海浄土』発刊の前の主婦)


 新企画で、この号から新たに「アナザーストーリー」として写真と記事を連載することになった。水俣病事件で出会った患者さんや漁民の人たちとは別に、水俣病事件と深く関わり、終生に渡りこのテーマを追い続けた人たち、僕が幸運にも写真で記録撮影していた方たちに特化して記述する。初回に、水俣事件の起きた風土を尽きる事なく文芸作品に執筆し、多くの読者に感動を与え続け他界した作家の石牟礼道子を取り上げる。


 僕が石牟礼道子さんに初めて会ったのは1962年の夏で、鹿児島本線の水俣駅前の旅館に投宿している時だった。彼女が宇井純さん(当時は東大の大学院生)を訪ねて来た時に紹介された。その当時、水俣市は水俣病事件を起こした新日本窒素(後チッソに改称)の水俣工場が労働争議で、紛争の街と化していた。

 その後、石牟礼道子さんと会う機会が増え、僕は「道子さん」と言うようになった。物書きをしておられ、「空と海のあいだに」という原稿を見せて貰った。それは後の『苦海浄土』(講談社 1969年)である。刊行前年の秋に講談社から道子さんを撮影する仕事を依頼されて水俣を訪れた。前頁に掲載の写真はその時の撮影で、彼女は自宅での調理姿である。

 講談社刊の『苦海浄土』の装丁と本文の写真を僕が担当した。その後の文庫本では写真は掲載されていない。『苦海浄土』の書名は作家の上野英信さんが命名している。他界される3年前の2015年に熊本市の施設でお会いしたのが最後になってしまった。



















                              石牟礼道子さん

















                           熊本日日新聞(2020年3月12日)



(季刊 水俣支援 No.95より転載)


桑原史成

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