2005年10月
序言 小説を書くことの恥ずかしさについて
神尾絹佳
神の無力の背後に、人間たちの無力が顔をのぞかせている。人間たちは「もう二度とそんなことがあってはならない!」(plus jamais ça!)」とくり返し叫ぶのだ。「そんなこと」がいたるところに行きわたっているのはいまや明らかだというのにである。——ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの——アルシーヴと証人』
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そう、それが「地獄の門」の前で行われているサッカーの試合という「グレイ・ゾーン」の様相をますます色濃く呈するようになっているのなら、小説を書くなどという恥ずかしい行為を私たちはもういい加減に止めるべきなのだ。小説を書くとか、作家になろうとするとか作家をやっているとか、あるいは「芸術」を創造するとか「芸術家」をやっているとかいった恥ずかしい行為を。
自分のことを作家だとは思っておらず、絶滅収容所での体験をもっぱら証言するためだけに作家になった化学者のプリモ・レーヴィは、日常的でありながら同時に極限的に不透明でもあるアウシュヴィッツの情況を「グレイ・ゾーン」という言葉を通して透視した。「グレイ・ゾーン」についてアガンベンは以下のような文章を展開している。とりわけ三つ目の一番長い引用をよく読んでいただきたい。
レーヴィがアウシュヴィッツでおこなった前代未聞の発見は、いかなる責任の確証をも受けつけない素材にかかわっている。かれは新しい倫理圏のようなものを取り出すことに成功したのであった。レーヴィはそれを「グレイ・ゾーン〔灰色地帯〕」と呼ぶ。それは「犠牲者と処刑者を結びつけている長い鎖」がほどける地帯であり、そこでは、被抑圧者が抑圧者となり、つぎには処刑者が犠牲者となる。それは、善と悪を融点にもたらし、それとともに伝統的倫理のあらゆる金属を融点にもたらす、休みなく働く灰色の錬金術である。
「グレイ・ゾーン」の極端な形象はゾンダーコマンド(Sonderkommando)である。ガス室と火葬場の運営を任された収容者グループのことをSS〔ナチス親衛隊〕の隊員たちは特別労働班を意味するこの婉曲語法を使って呼んだ。
ところで、レーヴィが伝えるところでは、アウシュヴィッツの最後の特別労働班のなかでわずかに生き残った者のひとりであるミクローシュ・ニイスリという証人は、「作業」の中断中に、SSとゾンダーコマンドの代表者たちがサッカーの試合をしているのを観戦したことがあったと語っている。
SSのほかの兵士と特別労働班の残りの者は、その試合を観戦し、選手たちを応援し、賭け、拍手喝采し、声援を送る。それは地獄の門の前でではなくて、まるで村のグラウンドで試合をやっているかのようだった(p.40)。
ことによると、この試合がかぎりない恐怖のただなかでの人間味のある小休止に見える人がいるかもしれない。だが、わたしの目には、証言者たちの目にそう映ったのと同じく、この試合、この一見してごく平常の瞬間は、収容所の真の恐怖を物語っているもののように映る。というのも、わたしたちはひょっとすると、虐殺はもう終わったものと考えているのかもしれないからである——たとえあちこちで、わたしたちからさほど遠くないところで散発的に繰り返されているにしてもである。ところが、試合はけっして終わってはいない。どうやら、途切れることなく、いまだに続行されているようなのだ。それは「グレイ・ゾーン」の永遠なる完全数であり、時間を知らず、あらゆる場所にあまねく存在している。生き残った者の苦悩と恥ずかしさ、「いっさいが神の精神〔霊〕のもとに圧せられていて、しかしながら人間の精神はまだ生まれていないかすでに消滅してしまったために不在のトーフ・ヴァヴォフ〔『創世記』一・二参照〕、すなわち荒涼とした空虚な宇宙にいるあらゆるもののうちに刻み込まれた苦悩」(p.66)は、ここから生まれてくる。しかし、それはわたしたちの恥ずかしさでもある。収容所を知らず、それでもどういうわけかその試合を観戦しているわたしたちの恥ずかしさでもあるのだ。その試合は、わたしたちのスタジアムでおこなわれるあらゆる試合のうちで、あらゆるテレビ放送のうちで、日常のあらゆるありきたりのもののうちでくり返されている。わたしたちがその試合を理解し、それを止めさせることができないかぎり、希望は絶対にないであろう。(強調点、本小説作者)
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今日は2005年9月22日、私がこの小説を起稿してからちょうど2年半が、そしてひとまずの完成を見てから半年に近い月日が経過している。つまり、小説を書き終わってから、それも書き終わってかなりの時間が経過してから、私はこの序言を書いている。どうしても序言を書かなくてはならないという切迫した必要性に発作のように見舞われた。この序言を書かなければ、少なくとも人海に投じる気には到底なれないだろうと思った。この小説を書いてくる長い旅の行程で、信じ難いことであるが、自分自身の言葉に喚起されて私は何度となく号泣しなくてはならなかった。さらに信じ難いことであるが、いったん脱稿するや、ずっと読みたくて堪らなかったのに小説を書いている間は読むことを断念しているほかはなかったジョルジョ・アガンベンの著作を、立て続けに三冊読んでしまった。『ホモ・サケル——主権権力と剥き出しの生』、『アウシュヴィッツの残りのもの——アルシーヴと証人』、『開かれ——人間と動物』の三冊で、この順番に読んだ。言い換えるなら、このイタリア人哲学者が展開する思想について、小説を書き終えるまでの私はほとんど何も知らなかった。2年以上もの歳月をかけて漸く小説を完成させたとき、私にはほとんどどんな達成感も歓喜の念も訪れなかった。私の世界は閉じて完結してしまったか、あるいは完全に充足したまま没落してしまったかのようであった。茫然自失の日々が続き、書き終わったばかりの小説を動かす気力など、もはや一滴も残っていないように感じられた。そして、アガンベンの本を読み始めた。世界にはもうそれしかすることがなくなってしまったかのように。理論的装い、あるいは専門用語の衣裳を纏っていたにせよ、その本たちの随所に私は見覚えのある光景を発見し、連続的に震撼させられることになった。眩暈がするような激しい既視感の波に、三冊の本を読んでいる間じゅう断続的に襲われ続けた。簡単に言えば、小説のなかで私が知らず知らずのうちに展開してきたヴィジョンと、私は自分の書いた言葉の外で、つまりアガンベンの著作のなかで、いわば「再会」することになったのである。
このかなり途方もない小説(そう、取り返しのつかない小説、小説にとって致命的な小説を私は書きたかった)は、ジュディス・バトラーの思想とアガンベンの思想が交差する地点に恐らくは位置している。『ジェンダー・トラブル』を始めとするバトラーの著作は小説を書き始める以前から読んでいたけれど、アガンベンの著作は小説を書き終わってから初めて読んだ。それなのに、アガンベンの思想に深く共振していて、その概念や思考の営みが共謀して浮上させる幾つものヴィジョンに溺れるほど浸りきった頭で書いたという気が、作者当人にさえしてくるのである。
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2005年である今年は戦後60年、だからアウシュヴィッツ絶滅収容所解放60年に当たる年である。8月にNHKでBBC制作の<アウシュビッツ>(原題、<アウシュヴィッツ——ナチスと最終解決>)と題した5回連続番組を4夜にわたって放映した。「人道主義」的な含蓄が意外にも希薄であったこの番組には、強制収容所をそれぞれの立場から体験した大勢の証言者が登場してきた。ポーランド政治犯の生き残り、ユダヤ人収容者の生き残りはもとより、ナチス親衛隊の生き残りや<ゾンダーコマンド>の生き残りまで登場してきて、耳を疑うような証言を次から次へと繰り広げた。彼ら彼女らの証言のなか、また多くの資料に基づいて構成されたドキュメンタリータッチの虚構映像のなかには、文字通りの<グレイ・ゾーン>が猖獗を極めていた。
5回を通して観て、私がつくづく思ったのは次のようなことである。<為すところを知らざればなり>の完全無欠にして最大の隠蔽装置は、<為すところを知らざればなり>そのものであるということ。アガンベン、そして彼の思想的先達であるベンヤミンなら、その状態を<規則化された例外状態>と呼ぶことだろう。
人間は、自分が何をしているか自分自身に決して知られないように、言い換えれば自分自身と決して関係を持たないように(無関係という関係を持つように)、その生を自分自身の内にある外へと締め出されている存在である。その生を、法的な秩序の外に遺棄される(打ち捨てられる)ことによってのみ、法的な秩序の内に包含されている存在であると言っても同じことだ。その生、誰もが誰もにとって容易に狼に変貌してしまう剥き出しの生、つまり例外状態としての生を、人間は自分自身の外へと、法の外へと、法によって全面的に締め出される。そんな暴力的な生とは断じて関係を結ばないように、そんな暴力的な生と密かに、自分自身にも知られないように関係を結び続けるように。だから、人間が剥き出しの生を遺棄される場所とは、あくまでも自分自身の内そのものである外(内と見分けがつかない外)、法の内に排除的に包含されている外である。剥き出しの生との遺棄関係、ないし締め出し関係を法によって結ばされた瞬間に、人間の身体=生命だけにある謎めいた呪文が書き込まれる。すなわち、「聖なるものであれ」という呪文が。
この小説にはベンヤミンの『暴力批判論』の一節が引用されているが、『ホモ・サケル』にも私が引用したのと同じ箇所が引用されていて、しかも私が引用したのとはまったく異なる翻訳で引用されていた。『ホモ・サケル』における訳文のなかの「生の聖性」が、私が引用した訳文のなかの「生命のトウトサ」と同一の原語を翻訳したものであると気づいたときの驚愕は、ほとんど筆舌に尽しがたい。アガンベンの思想との根源的な照応に刺し貫かれた最大の瞬間であったと言っても過言ではない。
「聖なるものであれ」とは、したがって「生の聖性」を、「生命の尊さ」を身に帯びよという無条件の至上命令である。それを永久不変の真理のように感じさせ、言わせることこそ、アガンベンが古来よりの「支配の秘法」と呼ぶ「主権による例外化」の最大の効果なのだ。「生命は尊いものだ」と言うことによって、人間は、本当は何を言っているのか?「殺されるのが怖い、共同体の外に排除されるのが怖い」と言っているのである。なぜ怖いのか? いつ暴れ出すかわからない狼を、つまり剥き出しの生を、自然状態と法治状態の区別がつかない自分自身のなかの不分明(グレイ・)地帯(ゾーン)に遺棄されてしまったからだ。潜在的にはつねに破滅を含んでいるホモ・サケルにされてしまったからだ。ホモ・サケル、つまり潜在的にはつねに誰もが殺人罪を犯すことなく、冒涜と感じることもなく、殺害することが可能な生。そういう生として、聖なる生として、人間の剥き出しの生を生産すること、それが「主権による例外化」である。人間の生を剥き出しの生として、例外状態として決定するとき、主権者は何を参照対象にするのか? 主権者自身の内に外として排除的に包含されている剥き出しの生を、例外状態を参照対象にする。そういうわけで、あらゆる人間にとって自分以外の誰もが自分に対する生殺与奪の権を潜在的に握っている主権者、ないし総統なのである。同時にまた、あらゆる人間にとって自分以外の誰もが彼ら彼女らに対する生殺与奪の権を自分が潜在的に握っているホモ・サケル、ないし剥き出しの生なのである。
「生命の尊さ」を身に帯びるということ、それは「人権」を主張する方法などではまったくない。それどころか、無条件の死の権力に人間の生が絶対的に隷従させられるということだ。無条件の死の権力への絶対的な隷従を通してのみ、人間の生は政治化されるということなのだ。「生の聖性」を身に帯びた瞬間に、自分自身と遺棄関係を結んでいる狼たちの巣窟のなかに、潜在的にはつねにすでに例外状態である世界のなかに、人間の生は遺棄されてしまう。自然と文明、例外と規範、生と法権利、暴力と正義、自由と隷従、獣と人間の区別がつかなくなった危険極まりない不分明(グレイ・)地帯(ゾーン)に、取り返しのつかない仕方で露出されてしまう。
私たちは誰もが主権者であり、誰もがホモ・サケルである。主権者とは、自分自身と、あるいは剥き出しの生と遺棄関係を結んでいる者のことだ。少し考えれば誰にでもわかるはずだが、その生は漠然と二重化されている。私たちは、まるで自分が不在の場所で、自分の分身を、あるいは等身像を生きているかのようなのだ。生きている死者、あるいは実は亡霊である生者として、生者(存在)の世界にも死者(非存在)の世界にも属さない境界線上を彷徨っているかのようなのだ。剥き出しの生との無関係という関係、つまり遺棄関係、締め出し関係のなかに、捉えられているとはそういうことである。主権者は、剥き出しの生との締め出し関係の内につねに自分を保持している。自分より上位にあるものを決して認めないまま、剥き出しの生を自分から宙吊りにしておく。純粋にその状態のままでありながら、同時にその状態を断ち切って、剥き出しの生が存在するがままに任せ、剥き出しの生を自分に与えることによって、剥き出しの生を自分そのものとして実現させる。
主権者の二重化された生をわかりやすく説明するとこうなる。これは、アウシュヴィッツでナチス親衛隊たちが特権的に行った「非人道的な」暴力の単に説明であるのではない。
私たちの誰もが、日常的にやっていることなのだ。
アウシュヴィッツが永遠回帰することを欲することはできない、とアガンベンは言う。なぜなら、それは起こることを決して止めてはおらず、つねにすでに繰り返されているからである、と。世界はつねにすでに恒常化した収容所であったのであり、その規模は今や地球全土に拡大されようとしているからであると。「アウシュヴィッツに神はいませんでした」と言った、元ユダヤ人収容者の一人の女性の言葉が忘れられない。法(正義)と、法が統制すべき剥き出しの生(暴力)との間に区別をつけてくれる存在が神であるなら、収容所としての世界には神など一度もいたためしはなかったのだ。生きていることと死んでいることの間に、個人の尊厳ある死と単なる落命との間に、死と死が不在である死体との間に区別をつけてくれる存在が神であるなら。9・11、イラク戦争、スマトラ沖大地震、ニューオーリンズ市を文字通りの例外状態に叩き込んだハリケーンを思い出すまでもなく、私たちもまた潜在的には「日常的かつ匿名的に死に向かって実存」している。私たちもまた、確実に収容所のなかにいる。
「理由も意味もなく、すべての者が他人の代わりに死んだり、生きたりする」場所、「だれも本当に自分のこととして死んだり、生き残ったりすることができない」場所、それが収容所である。誰でもいい誰かとして自分が、誰かの代わりにまったく恣意的かつ絶対的に必然的に死んでいかなくてはならないとき、収容所にいるその者に訪れることになるのが恥ずかしさであるとアガンベンは言う。「引き受けることのできないもののもとに引き渡されること」、それが恥じるということであると。「引き受けることのできないもの」は、しかし外部からやってくるのではない。私たちの内部の最深部から、たとえば生理学的な生そのものからやってくる。生と死が無媒介に結びついている境界線上で、つねにすでに死んでいる状態で生きているので、収容者たちの誰もが引き受けることのできないもののもとに、つまり自らの生理学的な生そのものに、恒常的に引き渡されている。彼ら彼女らが、あるいは私たちが日常的に感じている(はずの)恥ずかしさとは、一体どのような体験なのか?
すなわち、ここでは、自我は、それ自身の受動性によって、それのもっとも固有の感受性によって凌駕され、乗り越えられる。しかし、自分のものではなくなり、脱主体化されたこの存在は、自己自身のもとへの自我の極端で執拗な現前でもある。あたかも、わたしたちの意識がどこまでも崩れ、こぼれ出ていきながら、それと同時に、さからえない命令によって、自分の崩壊に、絶対的に自分のものでありながら自分のものでないものに、いやおうなく立ち会うよう呼びつけられているかのようである。すなわち、恥ずかしさにおいて、主体は自分自身の脱主体化という中身しかもっておらず、自分自身の破産、主体としての自分自身の喪失の証人となる。主体化にして脱主体化という、この二重の運動が、恥ずかしさである。(『アウシュヴィッツの残りのもの』、第3章「恥ずかしさ、あるいは主体について」)
「この二重の運動」は、主権者の二重化された生を思い起こさせる。しかし主権者は、「自分自身の脱主体化という中身」しか持っていない主体として、剥き出しの生との締め出し関係を、つまり無関係という関係を、覚醒した夢遊病者のように疾走し続ける。剥き出しの生を自分から宙吊りにしている間でさえ、その「しないこともできる」という潜在力は、無関係という関係のなかに包摂されている。
小説家を始めとする言葉を書く(あるいは話す)現代の主権者たちが、ジョン・キーツのように告白することなどまずあり得そうもない。「詩的体験は脱主体化の恥ずかしい体験であり、臆面もなく完璧な脱責任化の恥ずかしい体験である」などと。小説を書く行為、どんな媒体であれ「芸術作品」を創造するという行為は、現代においては剥き出しの生との締め出し関係のなかに、もはや手がつけられないほど全面的に遺棄されてしまっているのだ。なぜなら、世界はもう、死がすっかり無意味になった収容所空間だからである。作家や芸術家は、ものを創る際に知らず知らずのうちに(完璧に脱主体化の主体として)自分自身を、あるいは自分自身そのものである剥き出しの生を、唯一の規範(モデル)とすることしかできなくなっている。とはいえ、収容所のなかにいるのに、作家や芸術家は収容所のなかにはいない。作家であること、芸術家であることによって、まるで収容所の壁の外に安全に保護されているかのようだ。恥ずかしさから、「引き受けることのできないもののもとに引き渡されること」から、堂々と免除されているかのようだ。そうであることによって言葉を書く主権者たち、ものを創る主権者たちは、例外状態としての収容所がその時間的空間的な境界の外に溢れ出して、通常の秩序や規範と一致しながら地球全土に拡大していきつつある流れを確実に加速させているのである。多くの人々が感じているように、そこではどんなことでも起こり得る。かつては、「文学」という範疇に入れることなど無条件に問題外であったような小説が、「新しい文学」の顔をして歩いているといった例外状態が今日では至極当然の通常状態なのだ。
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「我々の政治は今日、生以外の価値を知らない(したがってこれに反する他の価値も知らない)。ここに含まれる諸矛盾が解決されないかぎりは、剥き出しの生に関する決定を最高の判断基準にしていたナチズムとファシズムは、悲痛なまでに今日的なものであり続けるだろう」(『ホモ・サケル』)。
「倫理とは罪も責任も知らない世界である。それは、スピノザがよく理解していたように、幸福な生の教えである」(『アウシュヴィッツの残りのもの』)。
アガンベンのこの二つの要請に対する少なくとも一つの可能な応答に、私の小説はなっていると思った。
この小説を書くことで私がやりたかったのは、世界が収容所であることを証言することであったに違いない。小説の内でも外でも私が目指したのは、収容所のなかに断固としてい続けること、収容所の外はないと宣言すること、そして収容所をある意味で絶対的に肯定することである。収容所を絶対的に肯定するとは、幾つかの方法を用いてそれを倫理的な位相に移行させること、倫理的な空間にそれを全的に変容させることだ。幾つかの方法のうちの一つは、小説の内でも外でも作家にはならないこと、作家にはならないままで小説を書くこと、小説を書くことによって小説を書かなかったこと、というものである。
小説を書くことによって小説を書かなかったとはどういうことか? 剥き出しの生との締め出し関係のなかでは書かなかった、書けなかったということだ。「自分自身の破産、主体としての自分自身の喪失の証人」として書き続けるしかなかったということだ。収容所の囚人が誰でもいい誰かとして誰かの代わりに死んでいくように、誰でもいい誰かとして誰かの代わりに、誰かの代理人となって、私はずっと書き続けていた。「引き受けることのできないもの」のもとに引き渡されながら書き続けていた。「生の聖性」が、剥き出しの生が決定的に塞き止められる地点、つまり生理学的な生そのものに引き渡されながら。自分には見えなかったが、書きながら私は頻繁に赤面していたかもしれない。どんな罪の意識も伴わない恥ずかしさのために。世界という収容所を倫理的な空間に変容させられる方法があるとすれば、それはこの恥ずかしさなのだとアガンベンはいたるところで示唆しているように見える。なぜならこの恥ずかしさは「残りのもの」のことだからであり、「残りのもの」の場所だけが収容所を証言することが可能だからである。「残りのもの」の場所はどこにあるのか? 生理学的な生を生きている存在(動物)と言葉を話す存在(人間)の決して一致することのない「不在の結合」、両者を分割する断絶にある。
この断絶に身を曝し続けること、それだけが「生命の尊さ」によって例外化された剥き出しの生の宙吊り状態をさらに宙吊りにしておける方法である。「存在しないこともできる」という剥き出しの生の潜在力を、剥き出しの生との締め出し関係のなかに包摂されることなく、維持しておける方法である。
私はこの断絶に身を曝し続けながら書いた。私の主人公たちは、この断絶に身を曝し続けながら、動物のように、動物として、存在の埒外に自らを置き去りにしながら、まさにそうすることで楽園となった収容所を最後の日まで生き抜くだろう。あるいは、つねにすでに開いていて誰もがもうそこに入っているので、逆に誰もが締め出されていて誰も入ることができない法の門を開いて、剥き出しの生と区別がつかなくなった法を完成=消尽させるだろう。極限的な愛という「実効的な例外状態」を創り出し、それによって「規則化した例外状態」をそこから罪を取り去りながら滅ぼし尽くすだろう。
法の門を開いて、私の主人公たちはメシアを、終末のときを到来させるだろう。それは最後の日であるが、最後のときではない。「残りのとき」である。開かれた門の向こう側には、収容所としての世界が収容所のまま救出されて、静かな楽園となって存在の外に息づいている。「残りのもの」の場所で証言する限り、収容所そのものが生き残ることの生産を停止させることができるのだ。証言することができるのは世界が収容所であるからだが、収容所はそれを語ることの極限的な無能性に私を陥れる。その無能性に貫かれながら、収容所との絶対的に分離不可能な分割においてまさに収容所ではなく、言葉だけを見つめ続ける。そうすることで収容所は、歴史的な時間でもなく永遠でもなく両者を分割する過剰な隔たりという「残りのとき」として、楽園として残り続けることができる。
付記:この文章は、早晩出版することになるであろう長編小説の序言として書かれた。